【自分のルーツ】父親と本音で語ったら、本気で生きる覚悟ができた!

ビジネス・仕事術

こんにちは、ライフコーチあきちゃんです。

自分の活動が停滞し、コーチング事業、本業のプラント設計、家族との関係、

すべてがどこか掛け違って、苦しい時期だったのです。

 

その時、受け取ったメッセージが、誠実、正義、父親ということで、

父親の生き様を、改めて聞くことにしました。

よくよく考えると、真面目に仕事について聞くことってなかったのです。

 

それでは、特に印象に残った部分を、お伝えします。

仕事への向き合い方!

早速、お父さんが仕事とどのように取り組んできたかをインタビューしていきます。

父がどんな仕事をしていたかというと、

税務署で働く公務員でした。

なお今は、定年を迎えて退職しています。

 

なぜ公務員を選んだのかと言えば、

父は、9歳の時にお父さん(私の祖父)を亡くし、

祖母、母親、姉、弟と4人で生活していたのです。

安定した生活地域に貢献するため、公務員を選びました。

 

かつての私は、公務員なんて仕事の自由がなくて、

言われたこと以上の仕事ができない、

自分の裁量で業績が上がったりもしない

ダサい仕事だと内心思っていました。

でも今回の話を聞いて、考えが変わったんです。

 

話を戻して、税務署での父の主な仕事は税金滞納者からの徴収だったそうです。

特に、父が信念を持って取り組んでいたことは、完納させることだそうです。

実は上司の意向としては、「滞納率をいかに下げるか」を重視しているのです。

滞納率を下げるためには、とにかく、差し押さえでも何でもして

すぐに全額納税を優先したのです。

それは、滞納者すなわち事業者が破産しても構わないという側面があるのです。

 

対して、父は、目先の滞納率でなく、滞納者が継続して納税できるように

制度を利用した返済計画を提案するなど、

すぐに徴収することを、必ずしも良しとはしませんでした。

 

そうすると、上司の滞納率低減の命令と

ゆっくりでも完納すればよいという父の思想と反発し、

肩身がせまいこともあったそうです。

 

父が目指し、実行していたのは、

納税させるという自分の業務も全うしつつも

滞納者の未来を考えて、支援するものでした。

滞納者すなわち事業者、経営者が事業を継続することで

社会が発展することも意味します。

父は、自分が職場で立場が悪くなることもかえりみず

自分の責務と相手の幸せ、さらに社会の幸せとなる道を選択し、

実践していたのです。

 

対して、私自身は、仕事は、やることはやるし、

成果も出せているのですが、

最低限のやるべきことをやるとか、

手を抜いたり、楽をしていたと思います。

 

さらに、相手のためと言いつつ、自分のためだとか

誠実さに欠けた部分があったと思います。

まさに、ハンマーで頭を殴られたような

衝撃を受けたんです。

 

父親の話を聞き、自分の信念を持って生きるということは

こういうことなのかと腑に落とすことができました。

 

自治会との向き合い方!

父は、地域の自治会にも積極的に参加し、今では自治会を引っ張っている存在です。

そのルーツは、父の父(私のおじいちゃん)で、

地元では、農業の経営の酪農の研究に力を入れていました。

地域のリーダーとして活躍されていたのです。

そして地方に研修に行った帰りに、心臓発作で亡くなりました。

祖父は39歳で、父は9歳でした。

それから、母親は子供3人を農業で養っていくことになります。

その時、地域の人たちの助けがあり生活できていたそうです。

農業では、周りと助け合い、手伝い合っていたそうです。

その経験から、世のために働きたいと公務員を選んだのです。

 

 

そして自治会についても、地域の助け合いを維持したくて

取り組んでいるとのことでした。

ちなみに祖父が地域の有名人だったので、

その息子として大事に、期待されていたと感じていました。

 

昨今、世の中では自治会への参加率も下がっているそうですが、

父の地域は99%を維持しているそうです。

自治会でのお祭りや廃品回収のイベントの話や、

育成会、長寿会の存続の危機について教えてもらいました。

 

助け合いが必要と言いつつ、目先のことを考えればなくてもいい近所づきあいですが、

地域社会を良くしたいという強い意志がないとできないことだなと感じました。

 

家族との向き合い方!

そのように、仕事と地域には尽くしてきた父ですが、

家族のこととなると、あまり芳しくありません。

 

奥さん(私の母親)に対しては、常に家を空けてしまい

一緒にいる時間も少なかったです。

父としては、自分の奥さんと自治会を一緒にやりたいという想いがありますが、

本人は興味がないので、強制したりはしないんです。

 

父は、子供に対して、やりたいようにやって欲しいと口では言います。

しかし見方を変えれば、ほったらかしでした。

遊んだり、かまったりする意志はあったのかと聞くと、

このような答えが返ってきます。

 

父は9歳で父親を亡くしているので、

父親がどうあるべきか、わからないと言います。

だから積極的にかかわらなかったのでした。

それから、私は自分の子供の姉妹に対し、

上の子に厳しく、下の子に甘い所があります。

上の子が下の子をいじめると、

めちゃくちゃ怒りが湧いてくるのです。

 

父に、同じことがあるかと聞くと、

父も私が弟をいじめた時に、叱ったことがあると言いました。

私も記憶が全然出てこず、思い出せないのですが、

確かに父親が怖かった記憶はあるのです。

 

父は、兄は弟に優しくするのが当たり前だと言います。

よくよく聞けば、父自身が

父親から弟をいじめて殴られたと言います。

 

これは、祖父から父へ、父から私へ、私から子へ

「上の子が下の子に優しくしなければならない理論」

引き継がれていたのです。

私が子育てで苦労したことの、一原因が判明しました。

 

そして、養うことについて、聞きました。

父の家庭環境が貧しかったので、

父は大学へは行かず就職したので、

子供は大学に行かせてあげたいという想いがありました。

 

だから安定した職というものを選択したのです。

私と弟の2人を大学へ行かせ、全額を父が払ってくれています。

奨学金も借りつつ、一時滞納しながら、退職金も使って

一人で払ってくれていたのです。

 

私は、親が払って当たり前だと思っていましたが、

このような苦労や想いがあって養ってくれたことを

始めて理解できました。

 

私(あきちゃん)はどう生きるか!

今回、父から話を聞いたことで

大事なことが3つわかりました。

仕事への向き合い方として、

信念を持って、自分の役割を果たしながら、相手と世の中に貢献すること。

二つ目は、地域をつなぐという強い情熱です。

そして三つ目は、私の子供への怒りの感情は、父から引き継がれたものでした。

ついでに、私が父親としてどう振舞っていいかわからないのも、

父もわからずに接していたからでいた。

わたし自身、人の為にコーチングをしようとすると、

自分の為の集客がストレスになってブレーキがかかり、

コーチング事業に力を入れると、プラント設計の仕事もおろそかになり、

そして家族との時間もないがしろになっていました。

すべてがバランスを崩し、折り合いがつかなくなってたんです。

今回、父から改めて学んだことを活かし、生き方を改めようと決意しました。

Follow me!

コメント

PAGE TOP
タイトルとURLをコピーしました