人生を縛り続けた思い込みに対する分析とその後の変化!

シータヒーリング受講後、自分の中にある欠乏感や苛立ちは、自分が子供のころに、母親から愛されないと思い込んでいることだと、大発見しました。

「愛されていない」という解放の一歩手前と、「長女に対する謝罪の気持ち」による解放について、その微妙な違いをもう少し分析してみたので、報告します。

さらに解放後の自分の感情の変化も報告します。

人生の悩みが解放した話

シータヒーリング受講中、自分が子供のころに、母親にもっと甘えたかった、可愛がってもらいたかったことが悩みの根源だと、一旦結論付けました。

そのことは間違いではないし、核心に近いですが、何かもっと深いものがあるようでした。

シータヒーリング受講後、かめちゃんにアンケートを出すにあたり、自分の学びや気づきを書き込んでいました。

その中で、長女に対して自分の怒りをぶつけていたなと考えると、胸が込み上げてくるのを感じました。

さらに、長女が自分のことを慕ってくれていることを思い出すと、そんな健気な子に対しきつく当たったことに、謝罪の気持ちでいっぱいになり、その時、ボロボロと涙があふれ、大泣きしていました。

まさに解放が起きましたが、何に対して解放が起きたのか、まだ理解できていませんでした。

メールを書きながら大泣きし、その後、奥さんにこの話をした際も大泣きしました。

そして、長女に自分の気づきを説明し、謝罪した時も涙が流れました。

「愛されていない」という答えで解放しなかったのはなぜか?

「愛されていない」ということに気づいた段階では、解放の一歩手前と言う感じでした。

そして長女に対する謝罪の気持ちに気づくと解放が起きました。

その後しばらくして、長女は自分の分身であることを理解することで、解放するにいたった本丸がわかりました。

長女への謝罪=自分の分身への謝罪=自分への謝罪、でした。

長女へきつく当たってごめんねと言うことは、長女を愛していない態度をとってごめんねと言うことです。

つまり、自分自身に対して「愛されないという設定」にしてごめんねと言うことだと考えられます。

自分はもっと愛されたかったけど、お兄ちゃんだからお母さんの手を煩わせないように我慢しなきゃだめだとか、ちゃんとしていなければいけないとか、甘えたい気持ちを押し殺していたのです。

そして、自分自身に我慢を強要したことを謝罪した時に、そのことに気が付いて欲しかったんだよー、と言わんばかりに号泣しました。

つまり、自分に我慢を強要したこと謝ることが、私のテーマだったのです。

はーーーっ、すっきりしました。

その後の感情の変化

奥さんと長女には解放に至った話をしており、都度号泣していました。

長女のことが大好きな次女に対しても、話をしておこうと思いました。

パパが長女にきつく当たるのを、次女がいつも怒っていたからです。

長女に話した時よりも、分かりやすく話しました。

そして、長女に対する謝罪の話をしたとき、もう涙は出ませんでした。

テーマが「自分を我慢させていたことへの謝罪」と気づいたことで、完全に昇華していました。

ここで、この話のオチです。

自分に解放が起き、親へ甘えたかった気持ち、押し殺した自分への謝罪、そして大号泣したことに、感動し神秘的とさえ思っていました。

真実が見つかったと大喜びでした。

しかし、次女にこれらの話をしたとき、んっ??、自分はいったい何の話を一生懸命しているんだ?という気持ちになったのです。

お兄ちゃんがやきもち焼いたりするのは良くある話じゃないかと、感情の揺さぶりが来ず、なんとも冷めた気持ちで語っていました。

解放直後までとテーマクリア後で捉え方が180°変わっていました。

思い込みの書き換えっていうのは、こうやって以前の思い込みを完全に意味不明なものにまで変えてしまうのだということを体験しました。

最後に気づいたこと

自分自身が、まあ平凡というか優等生な人生を歩んできました。

学校の成績も優秀で(偏差値高くない学校にいたので)、学生時代を謳歌したふりをしてみたり、留年も浪人もせず普通に正社員として就職したり、結婚したり、車を買ったり、家を買ったり、現代社会のテンプレートみたいな人生でした。

そんな過去を知らずともかめちゃんから、「もっと道を外れてみたらいいよ」と、アドバイスをもらいました。

きちんとしすぎていると。

今思えば、きちんとしすぎるのも、人間として不自然なのかもしれません。

そしてなぜきちんとしているのかと言うと、母親から愛されるとことを我慢しなければならず、お兄ちゃんだから弟の面倒みるのに忙しい母親の邪魔をせず、きちんとしていなければならない、こう思っていたのだと気づきました。

このことは封印していて、意識下にはありませんでしたが、きちんとしなければならない、という意識が自分の人生を形作ったのだと理解しました。

これは、心の欠乏はあったものの、今の人生が不自由のない生活ができていることを考えると、自分が抱えていた思い込みも、無駄ではなかっと思い、感謝さえすることができます。

すべて丸く収まってよかったです。

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